詩人の田中良雄さんは、次のように
うたっています。
一隅を照らすもので 私はありたい
私のうけもつ一隅が
どんなにちいさい
みじめな はかないものであっても
わるびれず ひるまず ほのかに
照らして 行きたい
こうした人が、この世に一人でもいれば、
たとえそれが一粒の種であっても、いつ
かは多くの花を咲かせ、人々の心を
潤すようになると思うのです。
いい心はいい顔をつくる、と言われて
いますが、顔といえば仏教説話集の
『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』
に、ある娘のエピソ-ドが
載っています。
彼女はプラセ-ナジット王の娘で、
顔や姿は言葉に言い尽くせない
ほど醜く、人々は恐れをなし
て誰一人として彼女に
近寄る者はいないくらいでした。
父王は困りはて、彼女を城内に幽閉して
一歩も外に出さず、侍臣(じしん)たち
にも口外を禁じました。
そして侍臣の中の独身者に王の命令で
めとらせ、離宮を与えて、「人目に
絶対さらさないこと、城外に一人
で外出する時には必ず門に錠を
かけること、在室のときにも
錠を戸にかけ忘れないこと」
を誓わせたのでした。
この夫が城外で宴会があったとき、
いつも一人で出席するのを同席の
者が不思議がり、夫人同伴で
ない者には罰を与えること
にしました。が、夫はそれでも単身で
出席し、ひどい仕打ちに甘んじていました。
あるとき、たび重なる罰を受けて帰宅する
夫の身を案じた彼女は、夫が宴会で外出
した後、部屋にこもってひたすら仏
に念じました。
するとその真心が仏に通じたのか、彼女
の周囲に明るさが増すと、次第にその
全身に光明がみなぎり、天女のよう
に美しい王女に変わっていきました。
宴会に居合わせた人々は、「彼が妻を同伴
してこないのは何か深いわけがあるのだろう。
ひとつ試しに彼を酔いつぶし、そのすきに
錠を借りて彼の居宅内に入り、確かめて
みよう」ということになりました。
すると中には、見た目も麗しい美女がいた
ので、びっくりし、宴会場に戻ってきました。
酔いから覚めた夫が帰宅してみると、妻が
いままでとはうって変わった美女に変身
しているのに驚き、義父と共に、釈尊
のところへ行ってそのわけを尋ねる
と、師は、「それは王女が心を
こめて、み仏を念じたからで
ある」と答えられたといいます。
美しく清らかな心の持ち主は「顔は心の
窓」といわれるように、いつしかそれが
顔にあらわれるようです。
また、人間不惑の歳を過ぎたら、自分
の顔に責任を持てとも言います。
遺伝による顔の形状をウンヌンして
言うのでは、もちろんありません。
一所懸命に仕事に打ち込んでいれば、
だいたい四十歳ぐらいでそれらしい
顔になってくるはずですが、そう
ならないのは、打ち込み方が
もう一つ足りない証拠だと
いうのでしょう。
いずれにしても、心の持ち方や仕事への
取り組み方が、長い間にはその人の顔
かたちまで変えてしまうのでは
ないでしょうか。
( 仏教伝道協会 みちしるべより )
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!