釈尊は、自分の肉体を酷使(こくし)し、
犠牲にしてまでも精神の孤高(ここう)
をはかることが、ほんとうの生き方
であるとは思えなかったのです。
「もっとましな、本当に人間らしく生きて
きたという実感の味わえる人生を送りたい」
と願って、家庭を捨て世間を捨てて一介
(いっかい)の世捨て人となって骨身を
削り、あるいは瞑想に、あるいは
苦行の努力を続けてきたのです
が、はたしてそれが、自分の
求めていた道であったのか
どうか、疑念も湧(わ)いてきたのです。
むしろ、「健全な精神は健全な肉体に
宿る」といわれるように、肉体あって
の精神であり、肉体をよく整えてこ
そ健全な精神が培(つちか)われる
のではないかと考えられたのです。
ナイランジャナ-河のほとりのシャ-ラ樹
の下で、そうした思索にふけっていたとこ
ろを、たまたま通りかかった近くの村の
娘スジャ-タ-の差し出した乳粥(ちち
がゆ)を口にして生気を取り戻し、岸
辺の水で沐浴(もくよく)してから、
ブッダガヤ-の菩提樹(ぼだい
じゅ)下に身を移して、七日
間瞑想にふけり、ついに
悟りの大覚(だいかく)を
成就(じょうじゅ)されたのです。
私達は今日、悟りを開かれた釈尊を「仏陀」
と呼んでいますが、「仏陀」とは、世の
実相に目覚めた人、という意味に
ほかなりません。
『中部経典』によると、釈尊がスジャ-タ-
から食を供されて口にしたのを見て、ひそ
かに父が釈尊のそばに派遣した五人の
従者たちは、釈尊が悪魔の誘惑に
負けてぜいたくになり、苦行を
捨てて堕落(だらく)したかと
誤解し、当時、多くの修行
者たちが集まっていた
西方カ-シ国のヴァ-ラ-ナシ-方面へ釈尊
を見捨てて去って行ったといいます。
しかし、悟りの確信を得た釈尊は、「まこ
とに熱意を込めて思惟(しゆい)する聖者に、
かの万法(まんぽう)のあきらかになれる
とき、その疑惑はことごとく消え去
れり」と喜びに満ち溢れておられたそうです。
『無量寿経(むりょうじゅきょう)』には仏
をたたえて次のようにしるしています。
「光顔巍巍(こうげんぎぎ)として威神(い
じん)きわまりなく、是のごとき燄明(えん
みょう)、ともに等しきものなし、日月
摩尼(まに)の珠光燄耀(しゅこうえん
にょう)なるも、皆ことごとく
穏蔽(おんぺい)して、猶(なお)し
聚墨(じゅもく)のごとし」
( 仏教伝道協会 みちしるべより )
答えを教わるのではなく、
自分で経験を積んで得る。
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!