心安きときは体(たい)安し
私達が毎日、汗水流して一所懸命働いて
お金を蓄えるのは、自分や身内の、生
活の安定のためと考えられます。
確かに、私達の生活は不安定であり、
毎日遊びにふけっていては、いくら
お金があっても足りず、ましてや、
蓄えのない生活は将来が不安です。
したがって現在したいこともしないで蓄財
し、保険に加入などして、いくらかでも
将来に備え、万全の策を講ずるのは、
至極当然のことです。
しかしながら、将来のしあわせの
ために、現在のしあわせを犠牲に
するのはいかがなものでしょう。
よく、日本人は働き蜂といわれ、あく
せく働いて休むことを知らない人種で
あるかのように考えられています。
こうした勤勉さが、わが国の産業や経済
発展のために、大いに役立っていること
は事実ですが、ただ、身をすり減らし
て働くだけで、一生を終わってしま
うのは愚かなことです。
『イソップ物語』に、働き者のアリと、
怠け者のキリギリスの話が載っていま
すが、そこでは夏の間、一所懸命働
いて食べ物を蓄えていたアリをし
り目に、歌を唄って遊んでいた
キリギリスが、寒い冬になっ
て食べ物の蓄えがなく、
アリの家に食べ物の懇願に行くと、
「それ見たことか、ふだん、なまけて
いるから悪いのだ」と、アリに
剣もほろろに断わられる場面が出てきます。
この話によって、勤勉や蓄財の大切さを
私たちに教えてくれます。
しかし、後に出版の『新イソップ物語』
によると、食べ物を懇願に、キリギリス
がアリの家のドアを、いくらノックし
ても返事がないので、裏口からそっ
と中へ入ってみると、アリは夏の
働き過ぎで死んでおり、そこで
キリギリスは、アリが残して
くれた食べ物を食べて、楽
に冬を過ごすことが出来たということです。
もしも、私たちがこうした動物だったら、
どっちの生き方が良いと思いますか。
私にとっては、どっちの生き方にも
くみすることが出来ません。
というのは、現在のしあわせを犠牲に
して、働きずめのアリのような生き方
も、いつもなまけて居ながら、アリ
の遺産にありつくキリギリスのよ
うな生き方も、いずれも、ほん
とうの生き方とは思えないからです。
現在のしあわせをないがしろにして、将来
のために耐え忍んだり、現在の楽しみに
うつつを抜かして後でベソをかき、
一抹の好運をあてにしたのでは、
いつまでたっても、確実に
しあわせを自分のものに
することが出来ないからです。
本当にしあわせな生き方とは、現在、
生かされ生きている自分を大切にし
て、最善の努力をし、今日の一日
を無事過ごせることに、感謝
することだと思います。
( 長くなりましたので 第 241 号 に続きます )
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!