五戒とは、生きものを殺さない、盗まない、
不倫な行為をしない、嘘をつかない、酒を飲まない、
の五つです。
戒律(かいりつ)とは元来、戒と律とからなり、
戒とは自ら進んで守る自律的な戒めであり、律とは
規則や法律のように、教団の当事者同士が共同で
決めた約束事で、他律的なおきてです。
すなわち戒とは、「これだけは自分が守る」という
誓いを自分自身に言い聞かせて実行することで、
律とは「これだけは守りなさい」と他人から命令され
たことを実行することです。
そのいずれもが、羽目を外しがちな人間に対して
「これ以上勝手なことをすると痛い目にあいますよ」
という、事故防止策で、危険信号なのです。
はじめからそうしたところに、近づかなければ、
必要ありませんが、それは、近づきやすい人に
とっては、きわめて有効にはたらくものです。
かって京都の東福寺に住んでいた鼎州禅師
(ていしゅうぜんじ)に次のような
エピソ-ドがあります。
ある秋の日、禅師が弟子を連れて庭を散歩して
いた時一陣の風に吹かれてしきりに落葉が
ありました。
禅師は歩きながらその落葉を一枚一枚拾って
たもとに入れているのを見た弟子が、
「和尚、おやめください。今に掃(は)きますから」
と言ったとたん、禅師は大喝(だいかつ)一声、
「馬鹿者!!今に掃きますできれいになるか。一枚
拾えば一枚だけきれいになる」と、
たしなめたといいます。
いまどきこんな話を持ち出すと、時代錯誤と笑われ
そうですが、言葉よりも実行が先決という教えは、
決して間違ってはいないと思います。
現代人はとかく、へ理屈や弁解が上手ですが、
へ理屈や膏薬(こうやく)はどこにでもつくものであり、
いくら弁解しても、事は成就(じょうじゅ)しません。
仏教詩人の相田みつを(1924-1991)さんも、
「そのうち、そのうち、弁解しながら日が暮れる」と
うたっているくらいです。
「不言実行」が時代錯誤なら「有言実行」でもよいから、
やるべき事はキチンと実行して初めて信用が得られるので
あり、やるべき事もやらないで、口だけ達者というのでは
仕事はいつまでたってもはかどりません。
私もどちらかというとずぼらな方で、多くの人に迷惑を
かけているのではないかと思い、いつも、
今なさざれば なす時ぞいつ
君なさざれば なす人ぞだれ
今なすべきなり 君なすべきなり
を自戒の言葉としています。
私達はできないのではなく、やらないだけなのです。
( 仏教伝道協会 みちしるべより )
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。 感謝!