水は形がなく、どこへも滲み通っていく性質を
持っているので、よく私たちの活動にたとえ
られ、たった一滴の水でもそれが集まれば
水流となり、使い方次第では電力源に
なったり、家や橋を押し流す洪水
となるプラス、マイナスの効用があります。
『遺教経(ゆいきようぎよう)』にも「小水常に
流るるときは、すなわち、よく石を穿(うが)つ
がごとし」とあるように、たえず流れている
と、それがいつの間にか石を穿ち山を
切り崩(くず)す力となるのです。
私達の活動も同様に「なせば成る、なさねば
ならぬ何事も、ならぬはなさぬ人にこそあれ」
で、それに取り組む私達の不断の心がけと、
着実に成し遂げたものの積み重ねが、後
になって成果となって表れるのでは
ないかと思います。
私達はいくら自分の心がけや仕事が些細な
ものだからと言って、その一つ一つ
をないがしろに出来ません。
植木憲道(けんどう)師(1871年-1967年)は、
かって私達の活動を水にたとえて次のよう
な『水五則』をよんでいます。
1、自ら活動して他を動かしむるは水なり。
2、常に自己の進道を求めてやまざるは
水なり。
3、障碍(しょうがい)に逢い、激してその
勢力を百倍し得るのは水なり。
4、自ら清うして、他の汚れを洗うは水なり。
5、洋々として大洋をみたし、発しては蒸気となり、
雲となり、雨となり、雪と変じ、霧と化し、
凝(こ)っては玲瓏(れいろう)たる鏡となり、
しかもその本性(ほんしょう)を失わざるは
水なり。
『(注)水五訓は 黒田如水(じょすい)
(1546年-1604年) の教え 』
私達は何か仕事を始める前に、それを成し遂げ
る難しさに尻込みしてしまうことがあります
が、取り掛かる前から「大変だ」と悲鳴を
上げたからと言って、それで仕事が
はかどるわけがありません。
まず、目先のやるべき事を一つ一つ
片ずけてゆくに限ります。
アメリカの著述家エリック・セ-バライト氏
は、大冊をものにする時その全貌を考えると
辛いから、遠い先までの章のことなど考え
ないで、ただその次の文章の一節だけに
心を集中し、それに専念して書き続け
ていくと、いつの間にやら膨大(ぼうだい)
な本が書きあがっていたと語っています。
江戸時代の都から地方へ通じる街道は、
わざわざ蛇がのたくったように曲がり
くねって造ってあります。
何故そうしたのかというともちろん、当時は
今のような土木機械で山や丘を削り、くぼ地
を埋め立てて造るという、道路工法の技術
が発達していなかったせいもありますが、
先の目的地が見通せず、目先の角を目標に
小刻みに道行く人馬は歩み続け、途中の
景色を楽しみながら、いつの間にやら
目的地にたどり着けるからだそうです。
今でも高速道路は直線にすると一見、最短
距離で目的地にたどり着くことが出来て
効率的なようですが、そうすると
かえって運転者は目が疲れて
事故を起こしやすいので、
わざわざ曲線にしています。
こつこつ こつこつ書いてゆこう
こつこつ こつこつ歩いてゆこう
こつこつ こつこつ掘ってゆこう
詩人の坂村真民(1909年-2006年)さんの
詩の一節です。
たいした事は出来ないながらも、一つ一つ
片付けてゆけば「塵も積もれば山となる」で、
いつの間にか有形無形のものが仕上がるものです。
それにしても、いつも一からやり始めなければ
なりませんが「継続は力なり」の諺のように、
遅いか早いかの差はあれコツコツ続ける
以外には、事の成就(じょうじゅ)
する秘訣はなさそうです。
( 仏教伝道協会 みちしるべより )
今日も読んで戴き有難うございます。